水谷豊の子役時代、高校大学は高学歴?性格は?

「相棒」シリーズでお馴染みの水谷豊さん。

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「杉下右京」が本名かと思うくらい、演技が板についていますね。
今回は水谷豊さんの

・子役時代はどうだった?

・高校・大学など学歴は?

・性格はどうなの?

などについて調べました。

水谷豊プロフィール

本名 水谷豊

年齢 62歳

身長 168センチ

配偶者 伊藤蘭

水谷豊さんは、北海道の芦別市に生まれ、炭鉱技師だった

お父さんの転勤で東京に移り住みました。

 

子供の頃に白黒テレビを見て

「この小さな箱の中にどうやって人が入っているんだろう?

いつか自分も、この箱の中の人間になってやる」

と決意しました。

 

13歳の時に演劇に興味がわいて「劇団ひまわり」に入団。

1968年には「バンパイヤ」のオーデションに合格し

デビューと同時に初主演。以前からファンだった「バンパイヤ」の原作者である

手塚治虫さんとも共演できました。

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「バンパイヤ」は当時、少年サンデーで連載されていた漫画で

月を見ると狼になる少年が、アニメーターになるために手塚治虫に

弟子入りするというストーリーです。

 

水谷豊さんは、俳優業をこなしながら大成高等学校に進学しました。

「バンパイヤ」で有名になった水谷豊さんは、仕事で学校も休みがちになりました。

 

学校では、芸能人であることを鼻にかけないようにしていましたが

子供時代から多くの大人に囲まれて育った水谷豊さんを、同級生は

一歩退いた立場から見ていました。

 

水谷豊さんは学校でも成績がよく、バスケ部の活動も頑張っていましたが

同級生は「水谷豊は芸能人」という目線で見て、親しい友人はできなかったそうです。

 

高校時代に、

「このまま芸能界で生きていくことが自分にあっているのか」

という疑問や、大人への不信感から水谷豊さんは一度、俳優を辞めました。

 

東京商船大学の受験に挑戦するも失敗し、浪人生活を送ることになりました。

しかし、浪人中に引きこもりがちになってしまい

「自分はこのままでいいのか?」という気持ちが強烈にわいてきて、家出しました。

 

この時の所持金はわずか400円。

行くあてもなくフラフラ歩いて、高尾山で寝ようとしましたが

あまりの寒さで眠れませんでした。

 

早朝に歩いていると、軽トラに乗ったおじさんに声をかけられ、釣りに誘われました。

水谷豊さんはそのおじさんと釣りを楽しんだ後、おじさんの自宅に招かれます。

そこには奥さんと赤ちゃんがいて、温かいご飯をご馳走になりました。

 

ご飯を食べた後、水谷豊さんが帰ろうとすると、おじさんが

「金ないんだろ?」

と言って、2000円を手渡してくれました。

 

このおじさんの無償の愛で、水谷豊さんの大人への不信は払拭され

俳優に戻る気持ちも芽生えてきたそうです。

 

水谷豊さんは後に、おじさんにお礼を言おうとおじさんの家を探しましたが

どうしても場所を思い出せず、未だにお礼を言うことができていないそうです。

 

その後、アルバイトをしていた時に子役時代にお世話になった

プロデューサーに声をかけられ俳優に戻りました。

 

水谷豊の真の相棒は伊藤蘭?

 

水谷豊さんは26歳のときに、視聴率47%を記録した伝説のドラマ

「熱中時代」で主演し、一躍大スターになりました。

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2000年にスタートした「相棒」シリーズも水谷豊さんにとっての代表作です。

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1999年に水谷豊さんが主演していた「探偵事務所」シリーズが残り一話になったとき

ちょうど同じプロデューサーに手がけていた「京都お見合いツアー殺人事件」

も打ち切りが決まっていました。

 

「京都お見合いツアー」で主演していた寺脇康文さんはプロデューサーに

昔から水谷豊さんに憧れいたということを話すと、プロデューサーの提案で

「それじゃあW主演の刑事物をやろう」

ということで、「相棒」の構想が生まれました。

 

最初の「相棒・警視庁 二人だめの特命係」は2時間番組の3話構成でしたが

3話とも視聴率20%に迫るほど好評だったため、長期ドラマ化が決まりました。

 

2008年の「薫最後の事件」で寺脇康文さんは降板しましたが

その裏には水谷豊さんとの衝突がありました。

 

当初は、人気俳優のW主演という形で始まった「相棒」ですが

次第に水谷豊さんの主演色が濃厚になり、寺脇康文さんは不満を感じていました。

 

撮影に全身全霊をかける水谷豊さんは、撮影前の打ち合わせでも

脚本や演出に細かく注文をつけていました。

その注文はもちろん、寺脇康文さんにも及び、次第に水谷豊さんの

発言力が大きくなっていきました。

 

寺脇康文さんはスタッフに不満を言うようになり、スタッフからも

敬遠されるようになっていきました。

 

ある日の打ち合わせで、水谷豊さんは脚本に注文をつけると

寺脇康文さんが、あからまに水谷豊さんに反抗する態度を見せ

水谷豊さんが激怒。

水谷豊さんは、寺脇康文さんの降板を要求し、相棒が交代する事態になりました。

 

しばらくは単独か、ゲスト出演で撮影していましたが、

2代目相棒として白羽の矢が立ったのは及川光博さんです。

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水谷豊さんは及川光博さんのことを”みっちゃん”と呼び

撮影も順調に進んでいました。

 

その後、及川光博さんは、水谷豊さんの引き合わせもあって

女優の檀れいさんと結婚しました。

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しかし、及川光博さんに結婚後2ヶ月で浮気が発覚。

このスキャンダルに水谷豊さんが激怒して、及川光博さんを

降板させるように要求しました。

 

フジテレビは、毎シリーズで高視聴率を取る「相棒」を

終わらせるわけにもいかず、3代目の相棒探しに奔走しました。

そして見つかったのか、俳優としての実績はあまりない成宮寛貴さんです。

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成宮寛貴さんは、水商売も経験していた苦労人であり

目上の人間に好かれる術も心得ているので、すぐに水谷豊さんにも

気に入られ、現在の「相棒」シリーズは順調に撮影されています。

 

水谷豊さんは、かつての相棒たちとの不仲説に対して

「なんで不仲なんて噂が出るのか不思議です。

寺脇ともみっちゃんとも今でも仲良くさせてもらっています。

多分、成宮くんとも不仲説が出ると思う」

と笑いながらコメントしていました。

 

及川光博さんとは降板後に、映画版の「相棒」で再び共演しているので

仲違いは解決したしれませんが、寺脇康文さんとの不仲説については

スタッフの証言もあるので本当かもしれません。

 

「相棒」はシリーズ13になって、番組の生みの親とも言われるプロデューサーが

降板させられました。

 

その降板の理由は、プロデューサーが

「相棒シリーズが人気になったのは、自分のおかげだ」

のようなことを言って、水谷豊さんの逆鱗に触れたからと言われています。

 

ドラマがマンネリ化しないように、定期的に俳優やスタッフを入れ替えて

新陳代謝を促すのも水谷豊さんの考えのようです。

 

怒らせると過激な行動にも出る水谷豊さんですが

私生活では天然な性格と言われています。

 

水谷豊さんの俳優人生を影から支えているのが、元キャンディーズの伊藤蘭さんです。

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大の方向音痴としても知られる水谷豊さんが、車で海に向かう途中で道に迷ったとき

伊藤蘭さんは「海が見える方向が違うと思うの」

と言って、夫を傷つけないように機転をきかせたことがあります。

 

女性としては、男性の方向音痴は許せないものですが

そこで怒って、ののしってしまうと男性のプライドを傷つけてしまいます。

 

伊藤蘭さんは、マイナスをプラスに変えて

夫を立てることを忘れないようにしているそうです。

そうすれば、男性は外で頑張ってきてくれます。

 

水谷豊さんと伊藤蘭さんはお互いを「さん」付けで呼び合っていますが

それも新鮮な気持ちを忘れないためなのかもしれません。

 

降板させられることのない真の相棒は、伊藤蘭さんかもしれませんね。


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